視界不良

とても、というわけではなく眼が悪い私は、眼鏡をかけていないと世界がぼんやりしてしまう。もやがかかったような景色をなんとなく脳内で補填する。目の前のスマートフォンの文字は読めても、部屋の向かい側の壁にあるラックに並んだ本のタイトルまでは見えない。けれど、どれも大好きな本だからタイトルも、著者名も言える。

今日は5月とは思えないくらいの暖かさで、ベランダと繋がっている大きな窓を全開にして過ごした。そこから吹き抜ける風が心地良くて、微睡む午後4時。やらなくちゃいけないことは山積みなのに、なんだかやる気も起きなくて。飛行機が空を切って進んでいく音が聞こえる。

音の流れていないイヤフォンをなんとなく耳につけて、世界と自分を遮断する。流れ込む情報の洪水に巻き込まれて私たちはすっかり疲れてしまっている。ずっと家にいてはそれも仕方のないことなのだけど。

もし、私の人生が小説なら...と考える。今は何ページ目なのだろうか。これから、なにか大きな出来事が起こるから今は最初のほんの数ページ目なのかもしれないし、もうとっくに起こった後で今は最後の数行なのかもしれない。そんなありきたりなことを考えながら私は、ぼんやりとした視界で本棚を眺める。

読みかけの本を丁寧に本棚に戻すのが正しい生活ならば、私はその道をすっかり踏み外した。バラバラになった本たち。それでもなんとなく、形を保っているように見えるのは、本はそこにあるだけで満たされるもの、というのをなんとなく証明しているからかもしれない。

視界不良の人生を歩んでいる。誰だってそうだ。明日のことなんてわからない。けれど、ただそこにあるだけのものに救われることがあるのもたしかで、毎日は続いていかなくとも、そうやって、ぐちゃぐちゃになった本棚みたいなものに救われる人がいるなら、私の生活は続いていく気がする。

風が吹いて洗濯物が揺れた。春のものとも夏のものとも取れる風が吹いて、私の頬を撫でた。